Googleの「邪悪になるな」は誰に向けての言葉か

ちょい前に、Googleの社是が「邪悪になるな」だって事であれこれ話が出てまして。で、そこは日本の均質社会。突出した人を叩く叩く。邪悪にならないわけがないとか、会社に行ったことあるけど感じ悪かったとか、まあネガティブな意見が多いこと。

アホかと。



こういう、他人様が正しいことを言っているのに斜に構えて叩くのは、日本型リベラルの悪いところだと思うよ。まあ中国様の手前、攻撃せざるを得ない方々もいるんだろうけどさ。団塊世代やその下の連中はともかく、そろそろ立派な連中は褒めるような、まともな日本人になりましょうぜ、若い衆。


たとえばアップルのジョブスはこれを「たわごと」だと切り捨てたらしいけれど、そりゃそうですよ。商売敵だもん。ジョブス自身が邪悪の権化だもん。私の好きなアニメ「ギルガメッシュ」から伯爵夫人の言葉をジョブスに。

 「狡猾な者ほど神の名を騙り、相手を悪魔と決めつけるものよ」


それはともかく、この社是。誰に向けての言葉かよーく考えて頂きたい。社是ってくらいだから社員に決まってる。「おまいらGoogle社員は、類まれな才能に恵まれておる。その力を邪悪なことに使えば、世界を恐慌に陥れることなど赤子の手をひねるが如し。その自覚を忘れるべからず」って事でしょ。才能は神様からのギフトなんだから正しく使え。それだけの事じゃん。

実際、この言葉を最初に聞いたとき感じたのは、「そうそう、どうか邪悪にならないでね」という祈りにも似た気持ち。こいつらが、たとえばマイクロソフトやアップルのような傲慢な会社になっていったら、はっきりいって始末に負えない。最悪ですよ、最悪。

でもまだ不安なんだよな。どこかアカデミックで世間知らずなところがある、Googleには。ビジネスモデルが破綻して会社が傾くのは仕方がないけど、暴走するのは勘弁。なんとか矜持を持ちつつ伸びてってほしい。てのが正直なところ。あとアンドロイド携帯、もう少しカッコよくしてちょ。

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